2007年11月29日
考える庭。
マドリッドにある王宮を訪れました。この白い石の宮殿は、現在は日本の迎賓館のように国賓を迎える公式行事にしか使われていないとのことです。そして、この王宮の横には、大きな庭が広がっていました。
木々は綺麗に剪定されていて、とても不思議な幾何学模様に統一されています。

このような幾何学模様は、マドリッド内の別の公園(レティーロ公園)でも同様でした。
とても人工的なイメージで、何となく違和感を感じました。

この違和感を感じた瞬間に、以前に読んだある本を思い出しました。日本在住のドイツ人の先生が、母国のドイツと日本とを比較して書いた本(注1)です。

----------
日本人は自然崇拝的で、人間は自然の一部に過ぎず、人工とはあまりにも卑小なものという感覚がある。
だから日本庭園には人工構造物を持ち込むことはあまりなく、「あるがままの自然」の方が好まれる・・・
それに対してドイツでは、人間が中心で自然が周辺という感覚がある。気候が比較的安定しているヨーロッパでは、自然は従順で制御可能だと言う意識がある。よって庭の木々は規則正しく、シンメトリーな形となる・・・
-----------

確かにこの幾何学模様の庭より、私は日本庭園の方が好きです。
この先生の説に従うとすると、自分は日本人なのだなぁと実感しました。
そう、そしてこの本で一番私の印象的だったのは

-----------
度重なる異常気象を直ちに地球温暖化と結びつけるのは科学的根拠に乏しく、短絡的というべきかもしれない。
しかし、気象への潜在的な不安があり、それを地球環境問題への警告や人間活動の変更の必要性を感じるとるというのは、日本人独特の感性である。
環境を管理するというヨーロッパの感覚にはない感性である。
------------
という部分でした。
この先生が言うように、自然に脅威を感じるというのは日本人独特の感性なのかもしれません。そして今、地球環境に異常が見られるなか、この状況を問題だと感じ、国際的に意見を発していくことは日本人に出来る国際貢献なのかもしれない・・・
何だかとても考えさせられた本を、思い出しながらのお散歩でした。
注1) K.H.フォイヤヘアト、中野加都子(2005)“環境にやさしいのはだれ?―日本とドイツの比較”
